第89回「紙コップ時代の疲労」

みなさん、こんにちは。株式会社アドバンテッジリスクマネジメントのキティこうぞうです。

今回は生理学者の渡辺俊男氏の著書「人はどうして疲れるのか」(ちくま新書)から「紙コップ時代の疲労」という話を紹介します。渡辺氏はこの著書で疲労について次のように書いています。

「疲労するのはよくないことだ」という考え方は間違いです。生きているものは必ず疲れます。疲労することによって自らの休息の必要を知り、休息の結果、体力・気力が回復して、次なる活動が可能になるのです。命あるものの優れた機能は、消費と供給、活動と休息、消耗と回復のリズムを繰り返し、内外の環境変化に適応することです。こうした生命現象の一つが疲労であり、「疲れた」というのは休息を必要としているサインのことなのです。

疲労の正体はちゃんとは解明されていません。過去にはエネルギー消費量や乳酸の量的な変化を記録するなど、様々な角度から疲労の研究や実験が行われています。また、血液や尿、脳波や心電図などの科学的なデータによって疲労時の現象はいくらか解明されましたが、疲労自体のメカニズムは解明されていません。人は「疲れている」と言いますが、それは主観的な感覚で、疲労を客観的に測る方法は確立されていないのです。

通勤時の満員電車で身動きのできないまま立っていると、運動していないにもかかわらず、ひどく疲れを覚えるものです。歩いているよりただ立っているだけの方が疲れやすいのです。また、仕事でも単純な繰り返し作業は表面上は単純そうに見えますが、それを行う生体の仕組みは複雑です。このような作業を果てしなく続けると、疲労が局所に集中してきます。局所的作業はエネルギーの消耗は少ないですが、精神的な疲労が加わるのです。人間の体は部分的に独立しているものではないので、どこかの一部分に強い疲労が続けば、必ず体の他の部分に影響し、やがて全身に疲労が及びます。特に制約度の高い作業、単純な繰り返し作業は、筋肉を抑制しながら働かせるためにエネルギーを使うので、全身疲労が早まるのです。

道具を使った手作りの時代から機械化の時代になってくると、筋肉による力仕事は機械によって代替されました。これに伴って人間の仕事は筋作業から感覚や認知、判断の作業が増え、人間の労働にはこれまでになかった精神や神経の疲労が多くなってきました。紙コップを持つ場合には、力を入れすぎるとつぶれてしまうため、ガラスのコップを使う時より神経の動きが多くなります。紙コップを握る筋肉と握りすぎないようにする筋肉の両方をうまく調節しなければならないからです。つまり、紙コップを握る時のようにデリケートな力を出すには、必要な力の割りにはたくさんの神経を使うのです。「紙コップ時代の疲労」とは、現代の私たちの生活環境が知らず知らずのうちに神経の使い方を複雑にして、精神的な疲労を高めている現象を言うのです。

疲れを知らない機械は動き続ければいつかは壊れてしまいますが、人間は機械にはない柔軟さや適応性を持っているため、疲労のサインに気づき、休息や回復を繰り返すことで機械のようには壊れません。ただ、人間も疲労のサインを見落としてしまうと、働きすぎによる病気や過労死になる場合があります。働きすぎにならないように疲労のサインに素直に従って休息をとることが大切なのです。

働くことは疲れることであり、休むことは働く意欲をかきたてる最良の方策です。休むことに罪悪感を抱いたり、勤勉であることだけに生きがいを持つことは疲労のサインを見逃すことにつながります。「疲れるからこそ生きられる」ことを理解して、上手に疲れて元気に働くことが楽しく人生を送るために重要なようです。

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