「広島ピースフォーラム2015」開催しました!

1945年8月6日の広島原爆投下にちなみ、8月4日(火)~8月6日(木)の3日間「広島ピースフォーラム2015」を開催しました。現地含め、全国から220名を超える仲間が参加しました。

【1日目】

フォーラム開会(ワークピア広島)13:00~
慰霊式(基町、袋町、比治山)17:40~

初日は、資料映像視聴や被爆体験者からの体験講話等の平和学習の後、市内3か所で慰霊式を行いました。

フォーラム開催にあたり、主催を代表して柴田書記長から「70年前に起こったことを『過去に起こったこと』と思わず、人類の過ちの歴史や原爆の実相と悲惨さを風化させることなく、世界の恒久平和と核兵器廃絶を訴え、子どもたちの世代に平和国家・日本を繋いでいく役割が私達にはある。本フォーラムを通じて多くを学び『創り育てる平和』の実践に結び付けていくことをお願します。」と挨拶を行いました。
現地実行委員会山縣委員長からは「平和公園の慰霊碑には『過ちは繰り返しませぬから』という碑文が刻まれている。過ちとは核兵器のことであり、戦争を起こした人間の過ちである。今を生きる世代の責任として、悲惨な過ちを繰り返さないために一人ひとりが行動し、大きな世論につなげるためにしっかり学んで感じて欲しい。」との挨拶がありました。
ビデオ『THE A-BOMB ヒロシマで何が起こったか』上映では、原爆投下後の救護活動や熱線、爆風、放射線被害で原爆投下による影響、被害の状況について学びました。
続いて前広島市長 秋葉忠利氏より講演をいただき、「『被爆者の体験』こそが核兵器に対する真の抑止力であり、平和の実現には隣り合う地域や都市が連携しながら『寛容さ』と『パートナーシップ』を持つことが必要」と、武器によらない平和実現の重要性についてお話をいただいた後、NTT労組広島原爆被爆者・二世協議会副会長の松木 忠生さんから、ご自身の被爆体験と当時の状況について話を伺いました。

フォーラム1日目の閉会後、基町・比治山・袋町の3会場で「情報労連慰霊式」を執り行いました。黙祷とともに献花、献水が行われ、電気通信に従事し原爆の犠牲となった先輩方の御霊に対し冥福をお祈りしました。

【2日目】

ピースウォーク・被爆建物視察(「平和祈念公園」、「平和祈念資料館」、
「広島城(中国軍管区司令部跡、大本営跡」、「NTT十日市ビル」、他)9:10~
連合「2015平和ヒロシマ集会」(上野学園ホール)16:30~
連合主催「慰霊式」(原爆ドーム)20:20~

 2日目は平和資料館見学や原爆遺構・記念碑を巡った後、連合「2015平和ヒロシマ集会」に参加しました。

70年前と同じく強い日差しの中、参加者は平和祈念公園内に設置された「原爆死没者慰霊碑」を始め、「原爆の子の像」「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」「原爆犠牲国民学校教師と子供の碑」などを訪れました。原爆資料館を見学後、「原爆ドーム」、「袋町小学校」、「日本赤十字病院」といった、原爆の爪痕を今に伝える被爆建物を見学し、子供も含め無差別に命を奪った原爆の実相について学習しました。

 

その後開催された、連合「2015平和ヒロシマ集会」には、全国の連合加盟組織から約2250名が参加しました。
連合・神津事務局長は、「戦後70年かけて積み重ねてきた我が国の平和への歩みに逆行するような安保法制の改悪は決して容認できない。世界で唯一の被爆国として恒久平和を希う国民の想いや、その背景にある歴史的背景を抜きにして安全保障法制の議論は成り立たない。連合としても民主党との連携をさらに強化し、政権与党の暴挙に対しては徹底的に対峙していく。」と決意を述べました。
被爆者からの訴えでは、広島県原爆被害者団体協議会の坪井理事長が被爆時の状況を地図や写真を交えて語られました。同協議会の清水理事長からは、「被爆者の高齢化により連絡会の運営が困難になっている」と、広島の実相を継承する活動の課題について報告がありました。高校生平和大使からは「高校生1万人署名活動」を始めとする平和大使としての活動紹介とともに、核廃絶に向けた力強い決意が述べられました。
集会後、参加者全員で原爆ドームへ移動し、原爆の被害で亡くなられた方々を偲び、御霊を慰める連合「慰霊式」を実施。集会に参加した仲間が平和への祈りを込めて、慰霊碑への献水や献花を奉納しました。

【3日目】

黙祷・パネル展・特別講演・まとめ集会(ワークピア広島)8:00~

翌6日は、原爆が投下された8時15分に参加者全員で黙祷を捧げた後、NTT労組・広島県グループ連絡会によるパネル展示を見学しました。
続いて、ピースボート共同代表 川崎 哲氏による「安全保障政策の問題点――日本はどこへ向かうのか」をテーマとする特別公演では、安全保障政策の具体的な内容や歴史的背景に触れながら、日本国憲法の世界的な評価と世界で唯一の被爆国日本が進むべき方向性について学習しました。
「まとめ集会」では兵後副委員長より「先の戦争では、日本国内の雰囲気が軍国主義へと変化するのは本当にあっという間であったと聞いている。今、日本はまさに過去の状況と同じになりかねない。個人の行動はまず知ることからから始まる。この3日間を通じて学んだ戦争の悲惨や被爆の実相について、家庭や職場で共有して欲しい。」との挨拶がありました。
続いて、情報労連平和四行動をつなぐピースリレー行動として「2015沖縄ピースすてーじ」から「広島ピースフォーラム2015」へとリレーされたピースフラッグが、長崎県協・上田議長へと手渡されました。最後に、現在の核兵器をめぐる情勢に対する強い抗議と、核兵器廃絶ならびに恒久平和に向けた取り組みを誓う「広島アピール」を全体で採択し「広島ピースフォーラム2015」の全日程を終了しました。

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