「第26回長崎平和フォーラム」開催しました!

1945年8月9日の長崎原爆投下にちなみ、8月7日(金)~8月9日(日)の3日間「第26回長崎平和フォーラム」を開催しました。現地含め、全国から約460名が参加しました。

【1日目】

フォーラム第1部(長崎県立体育館サブアリーナ)15:20~

フォーラム開催にあたり、主催を代表して柴田書記長から「情報労連では核兵器廃絶に向け52万筆、連合全体で720万筆の署名を国連へ提出しました。一旦戦争状態に入れば止めることが難しく、憎悪の連鎖を生むことは歴史が証明しています。本フォーラムを通じて多くを学び『創り育てる平和』の実践に結び付けていくことをお願します。」と挨拶を行いました。
被爆体験談では長崎平和推進協会・山川 剛さんより当時の世の中の雰囲気や教育・思想、被爆時の様子等について講話いただきました。「被爆者の願いは戦争をした相手も含め、2度と被爆者をつくらないということ。コスタリカは160年、スイスやスウェーデンでは200年戦争を行っていない。そこには戦争をしなくても国が成り立つ仕組み『平和の秘密』がある。それらを学んで戦争は運命でも必然でもないということ知って欲しい。」との山川さんの訴えに、参加者は真剣な様子で聞き入っていました。
その後、参加者全員で平和への祈りを込めて折鶴を作成し、また万灯に思い思いの言葉で平和実現に向けたメッセージを綴りました。

【2日目】

被爆遺構巡り(「原爆中心地公園」、「浦上天主堂」、「旧山里国民小学校」、
「山王神社(被爆楠・二の鳥居」、他)9:10~
フォーラム第2部(長崎県立体育館サブアリーナ)13:15~
連合「2015平和ナガサキ集会」(長崎県立体育館メインアリーナ)15:30~

2日目はまず「原爆中心碑」「浦上天主堂」「山王神社」「城山小学校」「山里小学校」など、市内に残る原爆遺構を巡り、原爆の破壊力や恐ろしさについて学習しました。

午後はフォーラム第二部を開始し、上田現地実行委員長からは「構成詩を通じて現地長崎の思いを共有して欲しい。核兵器が無くなる日まで、そして世界の恒久平和を目指して、全国から参加した皆さんと力を合わせて頑張りましょう」と、決意を込めた挨拶がされました。
その後、被爆の実体験をもとに創られた構成詩「風化に抗して」Part25が上演されました。構成詩には県内外から多くの家族が駆けつけ、フォーラム参加者に原爆の恐ろしさや悲惨さについて訴えました。
続いて、情報労連平和四行動をつなぐピースフラッグが北海道協議会・杉山議長へ手渡されました。杉山議長からは「北海道も恒久平和の実現に向け全力で取り組む。」との決意をいただきました。
また、来賓として駆けつけた組織内議員の石橋みちひろ参議院議員から、「今この瞬間も世界のどこかで子供たち、女性たちが、一般市民が戦争で殺されている。憲法が言う平和主義は決して「日本人だけが平和であればいい」、「私たちの子どもだけが助かればいい」という平和主義ではない。世界の仲間が、みんなで平和を守り創っていく、それが我が国の憲法の平和主義である。この集会に参加された皆さんは地域に戻ったら構成詩のメッセージ、絶対戦争を許してはいけないという想いを広め、私たちの国会での戦いへの支援をいただきたい」と挨拶をいただきました。
最後に、二日間のまとめとして中央本部 後藤副委員長より、「70年前に3発であった核爆弾が今世界には1万5,700発存在する。ここに集まった子供たちは、昨日山川さんよりお話いただいた『平和の秘密』を探してほしい。また、子供たちが平和な世界を過ごせるように、我々大人もより一層の努力を重ねることを是非この場で皆さんとともに誓い合おう。」と挨拶をしました。
引き続き、同建物では連合「2015平和ナガサキ集会」が開催されました。冒頭、主催者を代表して連合・古賀会長は、「非核三原則は国是。世界の核兵器廃絶に向けて日本が果たすべき役割は大きく、この連合集会に集う皆さんこそが国際社会において活躍いただく人材です」と挨拶しました。
長崎市 田上市長は「この10年で多くの被爆者の皆さんが亡くなっています。被爆者が心をかきむしるような思いで体験を語るのは、自分の為ではなく『二度と同じ思いをさせてはいけない』という強い願いなのです。核兵器の無い世の中を創るためには、長崎・広島以外のすべての人が原爆について語っていただくことが必要です」と訴えました。第2部では、被爆者からの訴え、平和広島代表団によるピースメッセージ、ナガサキ・ユース代表団、高校生平和大使からの活動報告が行われました。集会の最後には、情報労連NTT労組長崎分会メンバー作詞・作曲による”For the Peace Of World”を参加者全員で歌いました。

【3日目】

原爆資料館見学(長崎原爆資料館)9:10~
被爆後70年電通労働者原爆被爆死没者慰霊式(長崎市松山町爆心地公園)10:40~

 

最終日は、原爆資料館を見学した後、被爆後70年電通労働者原爆被爆死没者慰霊式を挙行尾しました。式の冒頭、現地主催者を代表して長崎県協・上田議長から「奪われた尊い命とともに諸先輩方がつないできた歴史を、明日へ継承していくことを、戦後被爆70年の節目に、ここ長崎の地で決意し合いましょう。」と挨拶し、つづいて柴田書記長より「戦後70周年という節目の年を迎え、『ナガサキ』と『ヒロシマ』の惨禍を、改めて心に刻むとともに、次代を担う子供たちのために、世界の恒久平和と核廃絶の行動を力強く継続していく」と、誓いを込めた挨拶をしました。
原爆が投下された11時2分に参加者全員で黙祷を捧げ、献花・献鶴を行った後、NTT労組長崎分会の吉田由美子さんが「70年前の原爆によって命を落とされた先輩方をはじめとするすべての被爆者の皆さん。私たちはこれからもあの日の悲惨な出来事を決して忘れず、みんなで手を取り合って一歩ずつ前を向いて進んでいきます。」と誓いの言葉を捧げました。
慰霊式の最後に参加者全員で「原爆を許すまじ」を斉唱し、3日間にわたる行動を全て終了しました。

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